慎太郎祭と岳都おおまち(後編)


山のぼりは朝が早い!

 そして運動不足の身に堪える雪の道

登山道のあちこちにある案内板
登山道のあちこちにある案内板

4月に横浜から引っ越してきて、運動らしい運動をしない日々が続いている。田舎は想像以上に車社会だ。歩くのはスーパーマーケットの中と駐車場までの道の往復という、世にも恐ろしい運動不足状態に陥っている。そんな私が「針ノ木岳慎太郎祭」に参加して、山に登って下りて来るまでの、後編スタートです(前編はこちら)。

 

針ノ木岳へのアプローチは長く、信濃大町駅から路線バスで約40分の扇沢が集合場所だ。7時10分発のバスに間に合うため起床は早朝5時、うーん、眠気が取れない。

 

扇沢は立山黒部アルペンルートへの玄関口のイメージが強いかもしれないが、トロリーバス乗降口とは違う西側に受付がある。注意事項を聞き、入山届を書き、山の歌集と記念バッチをもらう(参加費2000円)。ここから登山口まで歩いて20分くらいだが、今日だけ特別バスが出る。長丁場が予想されるから遠慮なく乗り込んだ。

 

大沢小屋にある慎太郎のレリーフと祠
大沢小屋にある慎太郎のレリーフと祠

すぐに登山口に到着し、ここからまずは大沢小屋を目指す。最初は乾いた土の道だったが、すぐに雪の上を歩くことになる。アップダウンもあり、慣れない残雪に足をとられることも。でも所々に案内板があるし、200人以上の参加者でぞろぞろ歩くので、一人参加でも不安はない。

 

コンクリートの構造物(砂防えん堤というらしい)や篭川を迂回し、一時間ほど歩いただろうか、やっと大沢小屋に着く。ここが大正14年に慎太郎が34歳の時、苦労して立てた最初の小屋なんだなぁと感慨に耽る。こざっぱりしているけれど、当時の建物は狭いバラック小屋だったとか。

少し休ませてもらった後、小屋の横にある祠と百瀬慎太郎のレリーフを拝み、式典に間に合うように出発。

 

針ノ木雪渓(の末端)に到着

神聖な山開きに風変わりな供物あり

雪渓と針ノ木岳峠を望むように用意された祭壇
雪渓と針ノ木岳峠を望むように用意された祭壇

30分くらい山道を登ると、針ノ木雪渓の末端の末端に着いた。ここが日本三大雪渓の一つか!(あと二つは白馬大雪渓と剱沢雪渓。どちらもご近所です) ここは大昔は氷河だったらしい。ちなみに氷河と雪渓の違いは、動いているか、いないかだそう。

 

見渡す限りの斜面は厚い雪で覆われている。白く輝くと説明したいところだが、雪解けと茶色い足跡とで真っ白で美しいとは言い難い。しかし周辺の景色を見れば、若葉の薄緑と常緑樹の深い緑色のグラデーションがまばゆく、青く抜けた空によく映える。雪渓に吹く冷たい風が、吹き出す汗を撫で何とも心地よい。

雄花が特徴的な榛の木(ハンノキ)
雄花が特徴的な榛の木(ハンノキ)

1800メートル付近の祭典会場まであと少し。今回この少しの距離が、私には一番辛かった。山小屋での貸出用アイゼン ※滑り止めの爪が付いた靴に装着する登山用具 は参加者多数の為とうになく(あったとしても多分使いこなせないし)、先達が踏み固めた足跡をやっとの思いで辿っていく。この雪道を戦国期の武将も、近代登山黎明期のウェストンも、今より拙い装備で登ったんだからがんばろう。ずくなし(※根性の無いといったニュアンスの長野県地方の方言、使ってみました)自分を励ましながら、やっと登り切ったのです!(たった100メートルで大げさだけど)。

 

人垣の間から雪上に設けられた祭典会場が見えた。縄で仕切られた祭壇に、御神酒や供物、樽酒が用意されている。9時30分に祭典は開始され、祝詞をあげたり玉串奉納があったり、山登りの注意点の説明など粛々と進められた。「雪山賛歌」という歌を初めて聞いたのはここ。山で歌を唄うって、なんか古き良き日本を思わせるなぁ。

 

祭典後、御神酒とお供え物のお裾分けがあった。風変わりな供物とは、大町登山会事務局さん特製の平武漬け塩らっきょうの浅漬け。平林武夫さん考案なのでこの名前に)山姥揚げ(昔は雷鳥?!今は鳥の唐揚げ)のこと。こちらも初耳だったけど、塩気が疲れた体に染み渡る。特に平武漬けは“一粒300メートル”といわれるだけあって、ガッツリ元気を取り戻した。

 

高山植物の宝庫を歩く  

下山のご褒美は……美味なるおしるこ!

葉が鏡のように輝くイワカガミ
葉が鏡のように輝くイワカガミ

ここからは記念登山班高山植物観察班に分かれる。私は迷わず観察班に。だって記念登山はここから、峠まで雪道を2キロ以上。私の遅い足では到底時間内に上まで行けないだろう。実際あとで聞いた話では、なかなか大変な道のりだったらしい。

 

大町山岳博物館友の会の皆さんが引率して下さり、針ノ木自然遊歩道を歩く。しかしこの遊歩道、名前は優しいが実際は行きと変わらぬ山道だ。小川を抜けたり小さな雪渓を横切ったりすることもあった。ストック両手にカメラを首に、歩いて撮ってみんなに追いついて。ふうふう言いながら何とか後を着いていく。

 

花の先生は次々と道端や山肌に咲く花を見つけ説明してくれる。見落としてしまうくらい小さな花が、実に20種類以上。その花々の鮮やかなこと! 高山帯は大気が薄くて紫外線が強く、花を守るために色素が鮮やかになっているという説がある。また短い生育期間に繁殖できるよう、受粉を助ける虫にとって魅力的にならなければならない。

登山口の別名は「おしるこ会場」?
登山口の別名は「おしるこ会場」?

「花も女も同じね…」とくだらないことを思いながら大沢小屋で待望の昼食。山小屋にいた慎太郎の曾孫に当たるという百瀬さんと、思いがけず話すことができた。まだ20代前半の青年だが、彼もまた小屋を守っていくという。心強い言葉が聞けて良かった。帰りがけに針ノ木岳の名前の由来になったハンノキも見られて、大満足の3時間強の山道だった。 ※高山植物の他の写真はフェイスブックにて公開中

 

へろへろになって朝通った登山口に到着。すると嬉しいことに、おしるこのサービスが! 炭火で焼かれた餅がアクセントになっていて甘過ぎず、何杯でも食べたくなる美味さだった。

 

閉会式で大町山岳会の西澤大会長の講評を頂き、歌集にあった「北帰行」を初めて唄う。山人らしい歌詞を聞きながら、来年までに体力をつけて、記念登山に参加する!と誓った。

 

登山に(少しだけ)魅入られた私 

慎太郎祭に想う大町のイイトコ

来年は私も登頂班に参加して大雪渓&峠まで行くぞ!!
来年は私も登頂班に参加して大雪渓&峠まで行くぞ!!

下山して念入りに整理体操を行いながら思いを巡らせた。峠まで行かずとも、辛さが身に堪えた私。この山道を開拓し整備し、案内した人はさぞかし大変だっただろう。今でこそスポーツになった山登りだが、明治から昭和までの激動の時代を切り開いていくとは、先人の苦労が忍ばれる。

 

慎太郎は心底山を愛していた。だからこそ全国から押し寄せる登山者を放ってはおけなかった。彼らの利便性を高めるために大沢小屋、針ノ木岳小屋を作り、安全を守るため日本最初の登山案内人組合を作った。彼の遺志は引き継がれ、今も組合は活躍している。そして、皆に慕われた慎太郎を偲ぶ祭は私のような人間をも山に呼ぶ。 

 

山っていいな、と単純に思った。山には厳しさと美しさと、下界と切り離された神聖さがあって。人も自然の前ではただの生き物だという当たり前ことを、思い出させてくれる。大町に来てすぐの頃は、何か山が迫って来るようで怖かったのだが、そんな風に思っていたことを忘れていた。畏怖はあるけれど、今は少し身近に感じるようになった。

 

また山に来ようと思う。思い立てば直ぐに来られる、こんな近くにいるのだから。


<針ノ木岳周辺の情報>

針ノ木岳慎太郎祭(大町市観光協会)

http://www.kanko-omachi.gr.jp/shintaro/

大町登山案内人組合

http://www.dhk.janis.or.jp/~mtannai/

大町登山会

http://blog.livedoor.jp/sanngaku0127/

大町市山岳博物館

http://www.omachi-sanpaku.com/

 

<参考にした本>

「北アルプス開拓誌」中村周一郎/郷土出版社