慎太郎祭と岳都おおまち(前編)


クライマーの聖地、岳都・おおまち

住んでる私は見てるだけ

ときどき賑わう信濃大町駅前
ときどき賑わう信濃大町駅前

私の住む大町の(たぶん)最大のキャッチフレーズは「岳都・おおまち」。山のスポーツに疎い私でも“岳都”と聞くと、何やら旅情を掻き立てられてカッコイイなぁ、と思うものだ。

 

信濃大町は後立山連峰の玄関口として、明治期に「北アルプス」と呼ばれ始めた頃も、昭和30年代の空前の登山ブームの時も、スポーツとして定着した今も、たくさんの登山客を迎えている。昭和30年代の登山黄金期は、信濃大町駅の駅舎が見えないほど人で溢れていたとか、登山口に向かう路線バスから人が転がり落ちそうだったとか。今では想像できない時代があったみたい。

 

当時の面影はないけれど、今も登山シーズンになれば首都圏からの特急「あずさ」が到着すると縦走装備の本格的なクライマーが、ぞろぞろと下りて来る。そんな姿を見ては「岳都にいるのに、登山しない私って…なんかもったいない?」と少しだけ思っていた。

 

北アルプスとはいうけれど……

地元の人は山の形で名前が分かる?!

市役所屋上から見た春の北アルプス
市役所屋上から見た春の北アルプス

 引っ越してきたばかりの頃は、山々を「北アルプス」と一緒くたにしていた。だけど住んでみると「ここから見る蓮華岳はいい」とか「五龍が今日は綺麗だね」とか、山の固有名詞がよく出てくる。地元に長い間住んでいる人は、山の形を見て名前が分かるのだからすごい。

 

私の中でただ“山”だったのが、一つ一つの名前を聞いていくことによって「鹿島槍岳」「爺ヶ岳」と区別されていくようになった。ぼんやりした「北アルプス」ではなくなってくると、次は登ってみたいという望みがふつふつと沸いてくる。だが、しかし……。

 

 

のど元過ぎても熱さ覚えてる!

苦手な山登りを再開する?

まだ体力のあった若かりし日の私…
まだ体力のあった若かりし日の私…

私の登山経験といえば低地をハイキングするばかりで、ほとんどないに等しい。一応登山靴と撥水性のある雨具、ストックは持っているけど、登山靴は足に合わない気がするし、雨具に至っては一度も使っていない。そもそも運動が苦手なタイプの体型なんですよ、わたし(…察して下さい)。

 

極めつけが、以前家族と行った上高地の徳本峠越え。そんなにきつい行程ではなかったけれど、家族のペースに着いていけず……。「遅い、早く歩け」と怒られ、置いていかれる恐怖と体力の限界を感じ、辛い思い出しか残らなかった。「もう山登りはしない!」と固く決心し、それ以来登山からは遠ざかっていた。

 

 だけどせっかく大町に来たんだから。やっぱり山登りし隊。(イイトコ探し隊をやっていると、パソコンが勝手に変換してくれるようになってしまった)しかも楽なやつ。日帰りで、案内の人がいて、お花が見られて、辛くないやつ! そんな都合の良いイベントを探していたら……ありました!「針ノ木岳慎太郎祭」です! 

ん? はりのき?しんたろう?

 

山を想えば人恋し、人を想えば山恋し…

駅前の石碑はこれだったのね!

パンフレットを熟読してその日に備える
パンフレットを熟読してその日に備える

まず、祭りの名前にもなっている百瀬慎太郎さん(1892-1949)について。日本の近代登山の先駆者の一人であり、大正6年に日本で初めて登山案内人組合を設立した方だ。凄い人物が大町に居たものだ……、無知ですみません。

 

「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」、この山好きの間で有名な言葉は、慎太郎が若山牧水に影響を受けて作ったもの。これ、駅前の石碑で見たことある!

 

毎年6月第1日曜日に彼の業績を称え、夏山開きを兼ね集団登山するのが「針ノ木岳慎太郎祭」だ。これなら案内人もいるし、植物の見学会もあるみたいだし、おしるこが美味しいらしいし! 私でも参加できそうです! 

 

慎太郎祭に参加する前に下調べ

だんだん気持ちは山ガール

佐々成政一行のイメージ(※オープンカーニバルで撮影)
佐々成政一行のイメージ(※オープンカーニバルで撮影)

 参加する前に少し針ノ木岳の下調べを。いかんせん、やっと山の名前を2つ3つ覚えてきたところで「針ノ木岳」。……ごめんなさい、聞いたことない。“後立山連峰の最南端の山、針ノ木峠を挟んで蓮華岳と対峙する”ですって。何やらレベルが高そう。

 

 調べてみると普段名前を聞かないのにも理由があることが分かった。手前に蓮華岳がそびえ大町市内からは見えないんだそう。見えないなら雪形や日常の話題にならないものね。

 

 しかしこの山の歴史は古く、大昔から越中富山と信州を結ぶ道として、立山詣での信者や杣人(そまびと・木こりのこと)や商人が使っていたらしい。天正12年(1584)には、佐々成政が浜松の徳川家康に会うために、雪深い針ノ木峠を越えたという伝説が残っている。「さらさら越え」と呼ばれ、北アルプスのどこかに成政が埋めたという埋蔵金があるとかないとか。

山男と山小屋のイメージ(※山岳博物館にて)
山男と山小屋のイメージ(※山岳博物館にて)

明治初期には日本初の雪道の有料道路、といっても牛と人間用の歩道ができた(保全が大変ですぐに廃止されたというけれど)。その後、近代登山の幕開けを迎え、明治26年には「日本アルプス」を有名にしたウォルター・ウェストンが峠越えしている。

 

 歴史を知ることで「針ノ木岳」を少し立体的に想像できるようになった。私は、ガールと名乗るにはちょっとおこがましい年齢だけど、山岳地図を見たり、お弁当やお菓子を買い込んだり、サングラスや着替えなどリュックに詰め込めば、気持ちはすっかり“山ガール”に!

 

実は慎太郎祭前日は大町最大級のイベント「信濃大町まつり」だったので、すでにクタクタ。楽しみだった打ち上げにも泣く泣く参加せず、翌日の山登りに備えて静養しました。さて、運動不足のぽっちゃり隊員が、皆さんに迷惑かけずに行って帰って来られるのか。乞うご期待――!?(後編へ続く)